市民有志・市民団体・地元ゆかりのアーティスト・地域ディレクターが中心となり、掛川市全域を舞台に展開する地域発のアートプロジェクトです。地域の特色を活かした様々なアートプログラムを実施し、お茶のまち掛川の魅力を再発見していただきました。
エリアディレクターがキャスティングしたアーティストが、自然や歴史的な町並みなど各エリアの特色を活かして作品展示やワークショップを展開するプログラムです。
一般公募による「掛川が好きな人」が、「お茶」をテーマにした作品展示やイベントを展開するプログラムです。
松ヶ岡会場の展示コンセプトは、掛川市指定文化財旧山﨑家に「アートで新しい息吹をもたらす。」ということであった。つまり、歴史的建造物とアートの両方を引き立て魅せるという目標であった。
その目標がどれだけ達成出来たか。来場者の声は、「作品が充実していた。作品の中に溶け込むことが出来た。驚きと発見があった。このイベントがあったのでここに来た。建物に感動した。改修存続を希望する。」などであった。
中村昌司「あかいささふね(Tristes SYRIA)」は、無数の赤い笹舟と赤い船を設置して、緑深い庭園の中に巨大な絵を描いたかのように、強い印象を与えた。 山内啓司「米蔵の宇宙(銀河採集)」は、闇の中に人の動きに反応して無限に変化する光の模様を映す、プロジェクションマッピングの作品。 伊藤啓恵「満ちる親指」は、洗面所や風呂場に、溢れるような無数の白い親指をうねるように、湧き上がるように連ね、不気味さと美しさを感じさせた。 中島敬子「Fusion、endless」 は、最も和の空間に馴染む陶芸作品で、庭の灯篭などと共にずっとそこにあったかのように、美しい形と陶肌を見せていた。 清水久美子「Mashallah~花の谷の物語~」は、パキスタンの山村フンザに住む人々とその風景を写した、どこか懐かしさを感じさせる写真。 瀬川明子「果無:endlessy」は、明治か大正か、はたまたアングラ劇場かと思わせるように、人形を配する方法で不思議な空間を作り出した。 鈴木眞弓「時の重なり」は、薄暗い和室に、綿糸を線状に編み、有機体のように空間に配して、非日常空間を現出させた。 久保田優子「地球からの贈りもの」は、来場者を作品の中に入り込ませ、地球や体内のエネルギーを発散する空間を作り出した。 大澤容子「Misty Morning」は、白い和紙のユニットをつなげたものを台所の屋根裏から吊り下げ、そこを祈りの場、踊りの場のような空間に変えた。 前澤妙子「茶の実ーchanomi」は、作者の記憶から引き出したイメージを、独創的に描いた、見る者を不思議な世界に導く絵画。 赤堀マサシ「カラボダンス」は、山﨑家に人々が集まり、宴を開き、子供らが飛び跳ねる賑やかな様子を想い、カラーボールで表現した。
以上の作品の力によって、この場所を輝かせることが出来た。
東山地区は粟ヶ岳の麓に広大な茶畑が広がり、実に清々しい景色となっている。日坂地区には江戸時代から脈々と受け継がれた旅籠が残っており、その3軒と本陣跡、茶製造業を営む山英の元倉庫、言霊の社とされる事任八幡宮が今回の会場となった。現地見学会を開催する中で、この景観と歴史的資産が他のアートイベントとの違いを引き出せるキーワードとなることを確信した。
お茶をテーマとした作家が、岡本高幸、山本浩二と筆者で、岡本の作品は茶畑が見渡せる丘の上に掘った土を入れた土嚢でソファーを作り、その上から景観を堪能させようというものであった。さらにそれを空撮し、山英の元倉庫に展示した。山本は茶の木で小さな彫刻を彫り上げ、それを炭にして展示すると同時に、それが茶会用の炭となって消失していくパフォーマンスを行った。筆者は役目を終え伐採された茶の木を旅籠の畳の上に配し、中に蛍光管を入れ点滅させることで、茶の木の持つフラクタルな形態による生命感を強調した。
この地区の伝説を取り入れた作家が田中俊之と大杉弘子である。田中は「くじら山伝説」「無限の鐘」「蛇身鳥物語」をもとに3点のガラス作品を制作した。大杉は事任八幡宮において「ことのまま」を甲骨文字、アルファベット等で書いた絹本を境内の杉に巻き付け、裏手にある逆川には「くじら山伝説」から引用した龍の文字を木から吊るした。
この地域に住む人達に焦点をあてたのが松野崇である。モノクロ写真の年月が刻まれた表情からそれぞれの暮らしや生き方が見えてくる。
場を意識しながらも、自らのスタイルに重きを置いた展示となったのが、今井瑾郎、渡辺英司、Seo Sung Bong、三上俊希である。今井は旅籠の居室に黒い球体を配し、その量感と幾何学的な構成によって、歴史を刻んだ和風建築の中に光と闇を意識させた。
人工芝を熱で引き延ばし雑草のように見せた渡辺の作品「常緑」は、畳の上に展示することでそのコンセプトが強調され、もう一つの植物図鑑から切りだされその分類から解放された作品「名称の庭」は、逆に畳の上に生え出したかの様であった。韓国から招聘したSeoは、天井から吊るした火山岩を核としたアルミコイルによる作品「The universe」で、もう一つの宇宙が旅籠の中に存在するような空間を演出した。三上は本陣跡にエアーにより伸縮を繰り返す真っ赤なバルーンを置いた。子供たちに人気があったのがこの作品で展覧会に華やかさを添えていた。
以上の展示を1か月間サポートしてくださったのが、地元のボランティアスタッフである。作品のメンテナンスや地域の伝説にまつわる作品の説明をしていただいたことで鑑賞者の理解がより深まった。土日には、寒い中会場を回ってこられた鑑賞者の皆さんへの無料のお茶の提供が格別なおもてなしとなった。
本来、茶エンナーレの取り組みを振り返るには、2017年度開催の芸術祭をトピックとして取り上げるだけでなく、プレ事業を含めた3年間(15,16,17年度実施の「茶文化創造千日プロジェクト」)を俯瞰して議論しなくてはならない。ただし、本稿では紙幅の関係上、そのことを承知で17年度に開催された芸術祭・茶エンナーレを検証するにとどめる。なかでも、実施することで見えてきた課題を中心に書き留めることとする。
まず、わたしの担当した大東エリアでは、作品展示の候補地選びに徹底して時間を割いた。また、単に作品を展示するだけではなく、すべての作家(6組9名)と公開対談を実施した。加えて、作家によってはワークショップ、共同制作などをおこなうなかで、地域住民との対話の機会を増やし、アートへの関心、理解、作品鑑賞に深みが出ることに注意を払った。結果、掛川市民は、これまであまり意識してこなかった地域リソース(自然、建築、産業、政策・制度、人、活動等)に気づくきっかけとなったことは間違いないだろう(価値の再発見・再創造)。つまりシビックプライドの萌芽である。
ところで実行委員会も、ある一定の成果を出した本芸術祭を、単発で終わらせることはないだろう。そのためには、今後の展開を議論し、課題を共有する場としての、「開かれた拠点」の設置が急務である(アートセンターの設置)。事務局機能は掛川市役所の一部署にあり、時間的にも空間的にも開かれているとは言い難い。何よりも、芸術祭会期中以外にも通年でアートを語る場が必要となる。展覧会に向けてのスタッフ会議では、どうしても運営面が議論の中心となり、アートそのものを語り合う場面が少なくなりがちだ。現在、それを担保する機能はWEB上にもない。そもそもネット空間にあればよいという話でもない。アーティストやキュレーター、市民が日常的に交流・情報の発信する場を通年で用意することで、本芸術祭が更に発展する可能性に繋がる。
もう一点、芸術祭の役割の一つに地域経済への貢献がある。運営資金に税金や補助金が入っているからという理由もあるが、経済指標を持ち込むことで、公に向けた説明責任が容易となり、継続的な予算も組みやすくなるだろう。ここで注意したいのは、経済とは「経世済民」(「世を経め、民を済う」)が根底にあることだ。それがアートの役割と結び付く。また、他の国際芸術祭がそうであるように、静岡県内各地で問題となっている人口減少の歯止め(交流人口、定住人口、関係人口)に貢献できる可能性もある。
協力:(株)尾崎工務店、グリーンサークル(株)、掛川エコ・ネットワーキング、南郷地区まちづくり協議会