掛川市を4つのエリアに分け、それぞれの地域の特色にあわせたアートコンテンツを展開し、市全域のミュージアム化を図ります。
また、どこにいても作品が観覧できるWEB会場展示も行います。
アーティストと市民との共創による、新たな掛川文化の創造
地域の魅力発掘、市全域のミュージアム化
掛川市や地域の特色にあわせたアート作品を市民と共に創りあげていきます。
「協働によるまちづくり」を進める掛川市を発信するとともに、新たな掛川文化の創造をめざすプロジェクトです。
掛川市内の駅の近くに市民と使えるラボをつくり、そこでスクール形式の実践を行う予定でした。ところがコロナ禍で色々困難となり、場所の確保もできず、市民と共に活動を一緒に考えることも困難で、最終的には中高生のボランティアクラブと制作することになりました。それもなかなかうまくゆかず、中高生達にも負担と迷惑をかけてしまい、中途半端な活動となってしまったこと、申し訳なく思っております。やわらかく、しあわせなぬいぐるみ~ずの未来をつくりたかった。竹の丸の方々、掛川市役所の方々には大変おせわになりました。
二宮尊徳は、貧しい生い立ちや、度重なる災害、士族の財政改革、農村復興などの経験や、神儒仏の教えから、宇宙、自然、人為の全てを一つの円からはじまるとする独自の思想体系を作った。報徳の「勤勉」は、明治から戦前にかけ近代国家の原動力として読み替えられ便利に使われてきたが、報徳思想をあえて「芸術論」として読み直すことで、便利に使えない部分の報徳思想に着目しようと試みた。また実践のひとつとして、南郷地区の開発で失われた横穴墓を河井弥八の残した離れの住居と融合させ「横穴墓の茶室」をつくった。
untitled(hula-hoop)は文字通りフラフープのジョイントを外しまた違う色のフラフープに繋げていくことを繰り返してフラフープという円を線に置き換え、新たな有機的な形を空間に生み出したものです。線によって空間が粗密に充満していく見た目と質量が相反している作品でもあります。今回大日本報徳社で展示をしましたが、古い建物と人工的な色と形が対照的で視覚的にあまり見たことのない作品になり自身にとっては新しい発見になりました。
旧図書館の空間に木版画の魚を設置することで水族館のような空間を作った。会期中は展示会場で制作、ワークショップ、イベントなどを企画し、アップデートしていった。フィールドワークとして掛川周辺の水辺の魚を釣り、木版画にした。版画になった魚は淡水のものが多かった(アマゴ、ニジマス、アブラハヤ、カワムツ、ヨシノボリ、ホトケドジョウ、ブラックバス、ブルーギル、ギンブナ) 。版木になる木は掛川森林組合に協力していただき、ヒノキを使用。また和紙は天竜川近くのあたご和紙を入手するために大城さんの工房を訪ねた。
今日は何の日かを新聞切り絵で展示しました。
「○月○日はこんな日なんだね。」と楽しんで頂けるようにいろいろなイキモノを制作しました。
作品は毎日Instagramで紹介しています。
実際の大きさは手のひらサイズくらいの小さめの作品です。
細かなパーツを貼り合わせて1つの作品を作っています。
原画では画像では分からない貼り合わせや、新聞の色味、素材感などを楽しんで頂けたら嬉しいです。
今回の展示場所は、初めての試みでした。
作品の配置がとても難しかったです。
作品も展示方法で見え方が変わってくるので、より楽しんで頂けるような空間を目指し、これからも作り続けたいです。
農業/狩猟/養蜂を営む俳優・山崎皓司が、児童文学「泣いた赤鬼」をモチーフに、自ら運営する農園「YAMAZAKI PARADISE」を舞台に赤鬼を演じ、訪れる人と会話をし、お茶や焼き芋を振る舞ったり、野菜を収穫させたりして、交流型演劇を展開した。掛川という土地での持続可能な生活の「豊かさ」の一例を体感してもらうこと、なぜ自分たちが豊かに暮らせているのか考えることで掛川から共に世界平和を目指す仲間を増やしたいという想いで行い、300人程が来場。お土産にハチミツを渡して募金を募り、集まった91,135円をペシャワール会に寄付した。
今回、当初予定されていた会場を設け対面でZINE(ジン)や印刷物のワークショップをするという事がこの新型コロナウィルス感染拡大の影響で行う事が難しくなりました。他の色んなプロジェクトや計画、イベントでもこの壁に直面しているのですが、ZINGとしては既に別のプロジェクトで新型コロナウィルス以降の対面では無い方法で行う企てを行なっていた事もあり、その方法を応用させ計画したのがこの「日常茶飯ZINEPROJECT」です。茶エンナーレを訪れた人やそこに暮らす人など様々な記事が会場に設置したポストに投函され、1冊のZINEになり配布される、というのがこのプロジェクトの流れです。記事を集める為のポストと紙、筆記具や案内板だけを、ただ置いておくだけだとイメージが掴めないのではという意見もあり、投函する人の参考になるサンプル「日常茶飯ZINE vol.0」を事前制作しポストに設置する事にしました。このvol.0号は茶エンナーレの関係者から集められた内容を使い編集し制作したのですが、そこには関係者だからこそ少し偏った掛川愛があったり、日常的な面白さが滲み出ていたり、マニアックな知識が書かれていたりとバラエティ豊かで茶エンナーレに関わる人たちの様々な熱量を感じ取れるZINEに仕上がりました。このvol.0号を参加者に見てもらう事も今回のプロジェクトの大事なプロセスだったんだなと思います。実際に茶エンナーレが始まってから記事が集まるのか不安でしたが、結果たくさんの老若男女の方達の投函があり、内容も色んな方向の記事が集まり充実したZINEを皆さんに届ける事ができて本当に良かったです。いろいろと制限が多くなった状況ですが、やり方次第でより本質的な部分に気付き、試す事ができるのもまた事実だなと今回のプロジェクトを通して思いました。プロジェクトに参加して下さった皆様ご協力ありがとうございました。
原谷駅から徒歩圏内にある展示会場(鈴木ストアー(仮店舗))が決まり、掃除をしたり場所に手を入れ始めた頃に、スタッフの方に山側の東山茶で知られる東山地区に連れていってもらった。連なる茶畑の風景は印象的で、展示会場のくすんだ緑色の床のイメージとも重なって、緑系のボーダー柄をモチーフにしたライトボックス作品を制作することにした。東山の茶畑でのスケッチを元に、そのリズムや連なりなどを参考にしつつ、会場に残った什器や備品も用いつつ、場所と呼応しながら出来上がっていったインスタレーション作品。
急須という普遍的なフォーマットを用い、複数のオブジェクトを制作した。典型的な急須を3Dデータ化し、CADソフト上で複製/反転/配置/等の処理を行った後、3Dプリントし、実物に似せた塗装を施した。急須を変形することで、鑑賞者が見出す“注がれるお茶に関する意味”を変容させようとした。作品制作の仕上げ工程には静岡文化芸術大学の学生達に協力を仰いだ。大変面倒な作業であったはずであるが、彼らの貢献度は作者を凌ぎ、完成した頃にはもはや誰の所有物でもないような感覚が生じ、自作に込める意味も変容していた。
枝や石などの自然物、既製品の食器や花瓶、釣り具や骨董品、材木やガラスなどの工業資材などさまざまな素材を元の意味や機能から切り離し、屋敷の複数の部屋にインスタレーションを複数の木々のように分割して配置した作品。江戸中期の庄屋屋敷の建築空間、とりわけ部屋と部屋、内部と外部の視覚的空間的連続性に着目して「複数の部屋に分割された木々」として構成した。住空間のスケールに入り込んだインスタレーションの部分は鳥や小動物にとっての屋敷の中に現れた、あたらしいけもの道の可能性を想起させる。
撮影:狩野 哲郎
「藤文」裏手にある蔵の壁や天井、床に蝶図鑑から切り取った無数の蝶の図版を散りばめる。また、幼稚園児が描いた無邪気な消防車の絵を立体物に再現する。
「藤文」を下見に訪れた際に、年を経てあらわれたグレーの壁の美しさに驚き、この作品が生まれました。
実際に作品を置いてみて、その壁の宇宙的な深さと広がりに、さらに感銘を受けました。
JR東海道線は、この日坂地区を大きく迂回している。それは当時、牛が驚くので鉄道の敷設に住民が反対したためであると聞いている。このおかげで日坂の旅籠は今も残っており、町民による籠レースが毎年実施されている。今回はこの地区に流れる時間をテーマとした。平均的歩行速度は時速4kmとされる。早籠の速度は文献によれば時速にして6kmほどである。一方、現在では新幹線に乗れば静岡から東京まで約1時間で行くことができ、その平均速度は180㎞である。作品は、その三つの速度を光の移動で体感してもらおうというものである。
旧東海道沿いの日坂と沓掛の立地をテーマに、旅籠・萬屋の1階と2階全部を使い、「Twisting Tokaido(東海道をねじ曲げる)」を行った。旧東海道を萬屋内に引き込み、その道に沿って1階に新しい「ニサカ村」を仮設する。村の名は「二つの坂(階段)」に由来する。道は1階の床を湾曲して二つに分かれ、それぞれ急な坂(階段)を上がると、会期中のみ穴で通じた2階の二つの部屋に「新クツカケ村」が広がる。日坂の盛衰を伝える1958年の東映教育映画や、萬屋に飾られていた村松辰夫の日坂絵図もインスタレーションに取り込んだ。
無覚音は無意識の音を知覚することをテーマにしたインスタレーション作品である。「白」「黒」「凪」の三つの作品は同じ空間の中でお互いに干渉し合い、普段は無意識のうちに処理されている音や人間の耳では知覚することのできない音が、装置により視覚現象として提示される。それらを空間の中で重ね合わせることで、意識と無意識の反転と知覚の拡張を試みる。
今回の展示の為に用意した「凪」は、土地の特性から発想した作品で茶の苗を素材としている。調達から制作まで現地で行う事で、地域性が際立つ作品・空間となった。
日坂宿のかつては本陣宿がありその後学校敷地ととして利用され、現在は市民が憩う公園となっている土地に巨大ジッパーが出現しました。
持ち手金具を引っ張るとみるみる地表が開いていきます。
割れた地面からは何が見えるでしょうか。子供の運動靴でしょうか、それとも殿様の刀でしょうか?
あっこれ以上引っ張らないでください。地球が裂けちゃいますから。
掛川・大東エリアの風景の中や施設を会場に、参加作家以外の方々と「かけがわ茶エンナーレ」の可能性についてトークし、オンライン配信する(無料配信)。シリーズタイトルは、「茶エンナーレはもっとおもしろくなる!」。地域で生活・活動する人や広くアート活動を支える人の生の声に耳を傾ける。
写真右上:アサイヤスコ(Art Book Shop りぶらりお)
写真右中:丸山勝久(掛川市茶商協同組合 理事長)
写真右下:伊藤由李奈(掛川市吉岡彌生記念館 学芸員)
写真下段左:アサイヤスコ(Art Book Shop りぶらりお)
写真下段中:丸山勝久(掛川市茶商協同組合 理事長)
写真下段右:伊藤由李奈(掛川市吉岡彌生記念館 学芸員)
立地や周囲の景色から「ほとり」をテーマとし、会場の展望台から見える風景をくみ取りながら詩を書いた。詩作では、展望台の見ているものと、この地面にいる「わたしたち」とに思いを馳せ、言葉は、景色と鑑賞者とを繋ぐものであることを意識した。鑑賞者は展望台の窓に浮かぶ詩を読みながら、同時に、窓の外に広がる景色を見詰める。「わたし」と景色、「わたし」と時間、移り変わるものと佇むもの、その「ほとり」を、作品では表現した。展示設計は、本田郁美が手掛けた。
掛川の南の端っこ、小さな展望台に詩を書けたことを嬉しく思います。
屋台が荷物を運ぶように、人の心の中にある「言葉」を体の中から外へと運び出すことをテーマに参加型の展示を行った。掛川の大地で育った杉材のキャンバスへ集めた来場者の「心に残る言葉」は、屋台の周りで言葉の森となり、最後には言葉の道へと姿を変えていった。ゆったりとした時間の中で、キャンバスへ運ばれた言葉が積みあがるさまはとても優し気で、掛川に暮らす方々らしさを感じた。
屋台は今後、アトリエTRUCK2号として市内のどこかで何かを運ぶ予定。それはものなのか、言葉なのか、時間なのかはまだわからない。
掛川市内に222ヶ所もあるため池。その座標を星座のように配置したファサードをもつ約2畳の大きさのカメラ・オブスクラをため池のひとつである居沼池の畔に設置した。俯瞰で眺めるため池、実際のため池、スクリーンに映し出されるため池を3段階で「みる」という構成である。鑑賞者が、ファサードをみて、掛川市のため池の多さと人々の生活を支えてきた、ため池の存在に思いを馳せ、カメラ・オブスクラによる「倒立像」をみて、この場所がいかなる場所かを感じ、記憶に刻む。ため池の今後のあり方を想像する契機となることを願い制作した。
かけがわ茶エンナーレ市民参加プログラムのひとつとして実施した「2020+1人のベニヤ人」は、できる限り多くの参加者を得て、数多くの「ベニヤ人」を出現させることを目指した。4つの小学校(大渕小、倉真小、日坂小、第二小)の児童130人と一般向けWS15人、合計145名の参加で、各展示エリアに配置された「ベニヤ人」たちは、訪れた人々の心をなごませた。
仮想空間展示のために掛川市議会本会議場に1日のみ設営された作品。円形で高さのある空間の特性を生かし、枝や石などの自然物、既製品の食器や花瓶、釣り具や骨董品などさまざまな素材を元の意味や機能から切り離し、鳥のためのあたらしい「止まり木」としてのインスタレーションを制作した。人間のスケールを越えた作品が内包する現実の空間では見ることが難しい各所のディテールを高精細の仮想現実上では鳥のように近づくことも可能かという試行。会期中には加茂荘会場で同作品を別のインスタレーションに組み替えた展示を行った。
撮影:狩野 哲郎
混ぜて、分離した素材を取り出す作業を連続して行えるミキサーセトラーという装置を題材にした映像作品。音楽家とコラージュ作家のコラボレーション。
協力:株式会社高砂ケミカル